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20周年インタビュー PART1 【期間限定無料公開中】

デビュー20周年を迎えた2012年の高山善廣インタビューを発掘!! 世間に高山善廣の名をとどろかせたPRIDE参戦について振り返るインタビューです。
聞き手/堀江ガンツ
構成/小松伸太郎
※『KAMINOGE vol.8』(東邦出版/2011年8月11日発行)より再録



もっとド派手に! もっと破廉恥に!
傷だらけの20周年。
プロレスも格闘技も見世物だと言い切る男が
駆け抜けた“マット界・動乱のゼロ年代”を振り返る!!



――高山さん、デビュー20周年おめでとうございます! ……と言いたいところなんですけど、あまりめでたくないことになってしまったんですよね(笑)。

高山 ガッハハハハ! 20周年記念で大ケガ、大ポカしたというね。

――6・30ノアの後楽園ホール大会での20周年記念試合も本人が出場してないという(笑)。

高山 前代未聞でいい記念になりました(笑)。

――まあ、そんな高山さんの現役生活20年の中でも特に重要な数年間を今日は伺っていこうと思うんですよ。あのゼロ年代前半の格闘技狂想曲、その象徴的な人物のひとりが高山さんじゃないかと思いまして。

高山 俺が象徴なのかな?

――あの時代は格闘技がプロレスを食って巨大化しましたけど、高山さんは数少ない格闘技を食ってデカくなったプロレスラーですからね。

高山 でも、俺はPRIDEで勝ってないからね。食われたのに大きくなっちゃった(笑)。食われて糞になって、デカくなったのかな、ガッハハハハ!

――それができるのはプロレスラーならではですからね。

高山 まあ、そうだね。アゴの長いおじさんもそういうこと言ってたもんね(笑)。

――高山さんはUWFインターでデビューしたあと、プロレスラーとしての才能を見いだされて全日本プロレスへと移り、ゼロ年代初頭にはトップレスラーの一角となってましたけど、そもそもなぜPRIDEに出ようと思ったんですか?

高山 PRIDEっていうのは自分の原点である高田(延彦)さんが初めてやって、後輩の桜庭(和志)がそこでドンドンのし上がっていったわけじゃない。一方で、PRIDEじゃないけど、金原(弘光)さんもリングスで活躍していて。「じゃあ、高山はプロレスはやっているけど、ああいう格闘技はどうなの?」っていうのが、自分の中でなんとなくあって。「俺もやれるよ」っていうのを見せたかったということが、まずあったね。

――普段はいわゆる純プロレスと言われるリングで闘っているけど、Uインターで育ったプライドというのがあったわけですね。

高山 それは自分の気持ちの中のプライドだけど、もう一つはプロレスのテレビ中継が深夜枠に押し込まれてたじゃない。だから、あの頃の俺っていうのは、ブレイク前の芸人さんみたいなもんでさ、深夜では評価されてるけど、ゴールデンタイムには出てないようなもんだったんだよ(笑)。

――深夜で人気があっても、まだ大衆には届いていない状態(笑)。

高山 だから俺にとってはゴールデンタイムを狙うための秘策というか、要は「一般の人に認められるにはここしかないだろう」って思ったんだよね。

――あの当時はテレビ放映こそ深夜とはいえ、ノアも新日本プロレスも大きなの会場を満員にしてた時代ですけど、それでもPRIDEは“ゴールデンタイムの特番”に見えたわけですね。

高山 だって、放送すりゃあ、みんな観てたもんね。だから、そのあと実際にPRIDEに出て顔を腫らしたら、全然プロレスとか興味ない人たちからも「観ました」ってたくさん言われたし、全然違ったよね。

――その一方でリスキーではありませんでしたか? 桜庭さんや金原さんは総合の世界で生きていくと決めた人ですけど、高山さんの場合はプロレスで築いてきた地位やイメージを壊してしまう危険性もあったわけじゃないですか。

高山 それはあんまり考えなかったね。リスクは考えないことはないけど、負けるときは負けるじゃん? 勝ったら儲けもんだよって。楽観視というか、出て暴れることに意義があるって思ってたから。

――当時、プロレスラーが名を上げるためにPRIDEに参戦する例ってけっこうありましたけど、その人たちとも高山さんは違った気がするんですよ。たとえば新日本のレスラーは、永田(裕志)さんにしても、石澤(常光)さんにしても、小原(道由)さんにしても、「俺はプロレス以上にそっちに自信がある」っていう感じだったじゃないですか。

高山 要はアマチュアの格闘技をやっていた人たちだよね。俺なんかは格闘技はやってなかったから、プロレスが格闘技だって証明する闘いでもあったから。

――では、けっこう損得勘定以上に自分のハートの部分で純粋に「出たい」っていう思いが大きかったわけですか?

高山 「やらなきゃいけないんじゃないか」って思った。結局、そこは自分がファンのときに思い描いていた理想のプロレスラー像って、悔しいけどアゴのおじさんなんだよね。

――アゴのおじさん(笑)。

高山 プロレスをやりつつも、異種格闘技戦でほかの格闘技の選手と闘っていくっていうのがあったから。あの時代にそれをやるには、PRIDEっていう舞台に出るしかないから。

――自分が信条とするものに照らし合わせたとき、たとえリスキーであっても「俺がやるプロレスはそれなんだ」と。

高山 そうだね。

――じゃあ、PRIDE参戦も高山さんのほうから働きかけたくらいなんですか?

高山 そう。あの頃、ノアでは大森隆男と組んで、わりといい位置でやらせてもらってたんだけど、突発的に三沢(光晴)社長に「PRIDE出たいんですけど」って言ったんですよ。そしたら「じゃあ、俺と一緒に話しに行こうか」って言ってくれたから。

――よく出してくれましたよね。それこそ、ノアにとったら自分のところの商品が傷つく可能性がある申し出なのに。

高山 ねえ? 本当にそうなんだよね。だから、そういう部分で本当に三沢さんは俺にとって大事な人なんですよ。

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